デンマークのトマソン選手の話
これまた心温まる話です。
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■W杯世界中が熱狂するサッカーW杯ドイツ大会。
今号では、知り合いから教えていただいた
02年の日韓大会に出場したデンマークの
心温まるエピソードをご紹介します。
(少々長文です)
■デンマークデンマークは、84年欧州選手権初出場、86年W杯初出場、
日韓大会は2大会連続3度目の出場でした。
(今大会は予選敗退)日本でのキャンプ地は、地元の熱心な誘致活動と
「日本のほぼ中心地であり、関空に近いから」
という理由で和歌山県に決定します。キャンプ地での練習は、非公開が通例でしたが、
デンマークは初日から全ての練習を公開し、
さらに練習後には、
見学に来ていた地元のサッカー少年たちを招き入れて、
ミニサッカーや指導をしていました。サインの依頼にも気軽に応じていたことから口コミが広がり、
初日はわずか数百人だった見学者が、
数日後には2~3000人へと増えていったそうです。ある記者が、デンマークのオルセン監督に
「他の国は非公開で練習しているのに、いいんですか?」
という質問を投げ掛けると、
「我々の強さは、練習を公開したところで変わりません。
絶対的な自信をもって試合に臨むだけです。
もちろん試合は大切ですが、
キャンプ地を提供してくれた和歌山の皆さんとの交流も
大事にしたいのです。
私だけでなく、チーム全員がそう思っています。」
と返事をしました。また、食事のことを気に掛けていたホテルの支配人と料理長には、
「私達はホテルが用意される料理をご馳走になります。
キャンプ地を決めた時から、食事もお任せしようと決めていました。
選手も理解していますので…。」
と伝えました。「他国の場合は、母国の食事を好まれるようですが…」
という支配人の言葉に対しても、
「他国は他国、我々は我々です」
とキッパリと返事をし、料理長に
「あなたに全てお任せしますので、よろしくお願いします。
ところで、和歌山で有名な食材は何ですか?」
と問い掛けました。料理長が、
「和歌山では、カツオという魚が有名です。」
と返答すると、監督は微笑みながら
「それでは、あなたが腕をふるって、
そのおいしいカツオを私達に食べさせてください。」
と伝え、料理長はすっかりデンマークのファンに…。また、監督だけでなく選手も同様の想いを持っていました。
最初の食事の際に、トマソンという選手が通訳に
「私たちは、食事の前に神への祈りを捧げるのですが、
日本でも何かするんですか?」
と尋ねました。通訳が、
「日本では、手を合わせて『いただきます』
と言ってから食べるんですよ。」
と答えると、
彼は手を胸の前で合わせて、料理長の方を向いて頭を下げ、
それを見ていた他の選手たちも彼にならいました。料理長は、食事の度に手を合わせる選手の姿を見ながら、
「日本人でも『いただきます』や『ごちそうさま』
を言えない人が多いのに、ムチャクチャ嬉しかったですよ」
と喜んでいたそうです。また、ある日のこと、練習後のサイン会で長蛇の列ができていたのですが、
トマソン選手の目の前に、一人の少年がモジモジしながら立っていました。後ろの母親らしき人が、「早くしなさい」とせかしていたので、
トマソン選手が通訳を通じて「どうしたの?」と聞いてみたところ、
意を決した少年は、ポケットから一枚の紙切れを取り出して渡しました。それは、学校の英語の先生が代筆したもので、
「ボクは小さい頃に、病気にかかって口と耳が不自由です。
耳は聞こえませんし、話もできません。
だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。
特にデンマークのトマソン選手とサンド選手が大好きです。
頑張ってください。」
と書いてありました。トマソン選手はニッコリと微笑んで、
少年に「手話はできますか?」と手話で語り掛けました。その「手話」に、少年と母親は驚きと戸惑いを見せていたのですが、
その様子を見ていた人が、
「ミスタートマソン、手話は言語と同様、国によって違うんですよ」
と説明しました。トマソンは、通訳に
「彼と文字で会話をしたいので、手伝ってもらえませんか。」
と伝え、通訳は微笑みながら頷きました。さらに
「後ろで待っている人達に、少年と話をする時間をくださいと
伝えておいてもらえませんか」
という気遣いもみせました。後ろで順番を待っていた中の誰一人として、
文句を言う人はありませんでした。通訳を介して、少年とトマソンの『会話』が始まりました。
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです。」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね。」
「はい、もちろんです。あの一つ質問していいですか?」
「いいですよ。何でも聞いてください。」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?
正直、ビックリしました。」
「ボクには君と同じ試練を与えられた姉がいるんです。
彼女のために手話を覚えたんですよ。」
と答えました。少年は、その言葉(=文字)をまじまじと見つめていました。
トマソンは次のように言葉を重ねました。
「君に与えられた試練は辛いものだと思いますが、
君と同じように、あなたの家族もその試練を共有しています。
君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年を見つめながら、
「わかっているなら、オーケー!
誰にも辛いことはあります。
君にもボクにもそして君のお母さんにも辛いことはあるのです。
それを乗り越える勇気を持ってください。」このやり取りを見ていた母親と周囲の人々は、
涙が止まりませんでした。
トマソンは最後に、
「ボクは今大会で必ず点を獲ります。
その姿を見て、君もこれからの人生を頑張ってください。」
この言葉に、少年は初めて笑顔を浮かべ、
「はい!応援しますから、頑張ってください。」
と明るい表情で返答しました。
そして、サインをもらい、
少年と母親はその場をあとにしました。母親は後日、
「あんなことまでしていただいて、
私は、デンマークが日本と試合することになったとしても、
デンマークを応援します。」
と語っていたそうです。そして、トマソンは、少年との約束を守って、ゴールを決めました。
それも、4得点という大活躍でした。和歌山県民は、国内の試合だけでなく、
韓国で行われた試合にも応援に駆け付け、
オルセン監督は記者のインタビューに、
「韓国での試合では、和歌山の皆さんの応援に勇気付けられました」
と答えていました。結局、フランスと同じA組ながら、デンマークは2勝1分けで、
一次リーグを見事1位で通過したのです。そして、迎えた決勝トーナメント1回戦。
場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドでした。スタンドからは「ベッカム~!」という声援が多い中、
和歌山県民は、「頑張れ!、デンマーク」
と声を振り絞って応援していました。結局、イングランドには、0-3で敗れてしまったのですが、
和歌山県民はデンマークのチームに誇りを感じていました。帰国前には、宿泊先のホテルの計らいで
「デンマークお疲れさま!会」が開催され、
その会場には溢れんばかりの県民が駆け付けました。その会場で、トマソン選手は、例の少年を見つけて近寄り、
「せっかく応援してくれたのに負けてしまってゴメンね」
と「言葉」で語り掛けました。少年は、
「お疲れ様でした。負けてしまったけどカッコよかったです。
それに約束通りゴールを決めてくれたから、ボクは嬉しかったです。」
と伝えました。トマソンは、
「ありがとう。ボクが君と話ができるのは、
これが最後かもしれないので、よく聞いてください。
君には前にも言った通り、試練が与えられています。
それは神様が決めたことなので、今から変えることはできないんです。
ボクが言いたいこと分かりますか?
神様は君に試練を与えたけれど、その代わりに、
いつか必ずゴールを決めるチャンスがやってきます。
そのチャンスを絶対に逃さないでくださいね。」
と、気持ちを込めて伝えました。この言葉に、少年は満面の笑顔で「はい」と返事をし、
最後に2人は仲良く写真に収まり、別れを告げました。この写真が少年の宝物となること、
そしてトマソンとの出会いによって、
少年が『前へ進んでいくこと』は間違いないでしょう。
この少年と心優しきトマソンに光あれ…。
■「優」勝「W杯は、戦争だ」と表現されることがあります。
確かに、「母国の代表として威信をかけて戦う」
という意味ではその通りかもしれませんが、
場外でのサポーター同士のトラブル等は、とても悲しい出来事です。たくさんの国からたくさんの人が集まる折角の機会です。
優勝の「優」とは、テクニックや戦術に優れているというだけでなく、
「優しさで勝つ」ものであると捉えて、
地域の方や他国の方とのグッドコミュニケーションを
大切にしていただきたいですね。日本代表チームの試合以外での活躍にも期待したいと思います。
そして、私達も日常の中で「優」勝しましょ♪
うーん、あらためて『優』って良い字ですね。